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喜悦旅游#17 旅ばかりしている。でも、旅ばかりじゃない。

 


 隠岐の旅を終えた頃。

 

 わたしたちが旅先で出会った「光」ーその場所でしか感じられない感覚を、色々な人と何らかの形で共有していきたい。その思いから、この「喜悦旅游」とはまた別に、旅のWebマガジンを企画し、旅先ごとにまとめ始めていた。


 Webマガジンの名前は「gallivant」。コンセプトは「いつか行きたいところにつながる旅マガジン」。漠然と感じる「いつか行きたいところ」と、誰かがつながるヒントになれば、という思いで始めた。



 最初の特集は、もちろん行ったばかりの隠岐だ。隠岐に行く時の交通手段、各島を楽しむちょっとしたヒントなどを書く。体験したばかりのことを、綴っていくのはとても楽しかった。個人的な経験を、行ったことがない人でも想像しうるように客観的に書く作業。旅ばかりしているのだから、発信も旅に特化したものに絞っていき、ソーシャルメディアも「旅の発信」の色合いを増していった。


 これを通じ、個人的な旅の道のりも振り返りやすくなるだろう。



 ...そう思っていた。


 しかし、実際に起きたことは違った。


 氣付いてしまった。


 わたしたちは、旅ばかりしている。でも、旅ばかりじゃない。


 わたしの人生は、どんなに形を変えても、旅ばかりだ。旅の相方、盛田さんの人生もそうだろう。しかし、旅ばかりしているからといって、わたしたちのあり方は、旅ばかりじゃないのだ。


 旅、というひとつに括ってなにかを発信しようとした結果、旅はおろか、ひとつに括ることが難しい自分たちの特性に、直面した。


 隠岐から帰ってきた直後、盛田さんは突然猛烈に絵を書き始め、画家となってしまった。わたしはなぜか珈琲の魅力に取りつかれ、ひたすら珈琲を淹れることに集中し始めた。


 生活は続く。


 それまで各々がやってきたこともまた、続いていた。しかし、言語では説明しようのない新たな流れが次々と生まれ、またそれが現実的な形となっていく。わたしたち(Raymma)が手がける数々のこと全てが、「なにかを無理やりひとつの形にすることはできない」と、告げているかのようだった。



 現代社会において、「あなたはなにをやっているんですか?」と問われたとする。自分自身、そしてRaymmaも、何度もこの質問を投げかけられてきた。いつも真摯に回答してきたが、「それはわかりにくいですね」という言葉を、その度に受け取った。


 わかりにくさを、どうにかわかりやすくしようとする。すると解像度が低くなり、自分自身も自分の捉えようがなくなる。誰かにとってのわかりやすさは、自分にとっての生きやすさと直結するものではないのだ。


 わかりやすさを主眼に置いて、絞り込んだ旅のマガジン。それに着手することで、自分はわかりやすさを求めているのではない、という事実に氣づいた。


 自らが体験する未知の世界、その喜びを、その時々で発信していく。反復性ではなく、瞬発性の世界。



 よし、自分の「好きの解像度」を、上げていこう。読みやすい発信ができるか否かではなく、わたしが好きなものと、誰かが好きなものが重なる瞬間を、楽しんでいこう。


 わたしがやっていることは、確かに多岐にわたる。でもそこに共通した「光」というべきものがあることを、自分は確信している。旅自体は明確にわたしの人生に織り込まれていて、もはや切っても切れない。旅は信頼できる。旅の道連れ、盛田さんもまた、ひとことで「何者」と定義することが難しい人だ。それだからこそ、一緒にできることがあるのだろう。

 


 旅は目的でも手段でもなく、ただ、ともにあるもの。


 ただ、ともにあるものを、ただ、ともにおもしろがる。


 そういった視点で、すべて、出していく。




 あたらしい何かが、わたしたちの中で始まった。

 


 喜悦旅游、ほんとうの意味で、スタート。


 

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