喜悦旅游#5 「神居古潭」〜北海道編3
更新日:10月6日
日本最北端、宗谷岬に行く途中に立ち寄った街、留萌。
その名の由来は、アイヌ語の「ルルモッペ(潮の静かに入るところ)」。潮が流れ込む留萌川の河口付近に、古くよりアイヌ民族のコタン(集落)が形成され、昆布、鮭などの交易の場となり、さらに時代が下るとニシン漁で賑わったとか。
時は下り、現在は北海道北部の入り口として注目される留萌。ここから、旅の第一の目的地の宗谷岬に行くには、国道232号、通称「オロロンライン」を、日本海を眺めながらひたすら北上するルートを通る。しかし、その前に、立ち寄りたい所があった。
神居古潭(カムイコタン)。

(神居古潭、入口の奇岩風景)
神居古潭は、旭川市神居町に存在する奇岩風景の渓谷だ。約1億6000万年前に海洋プレートがマントル付近まで沈み込んだことを表す、地質学的に大変重要な場所(神居古潭変成帯)である。移動がほぼ全て徒歩だった時代、アイヌの人々の長距離移動は水上交通が肝だった。しかしカムイコタンの細く険しい急流は交通の最難所であり、旅の無事を神に祈るよりほか無かったことから、カムイ(神の)コタン(住むところ)と呼ばれたという。

(神居岩。巨大だ。)
背後の山には神居岩(アイヌ語:クッ ネ シㇼ=岩崖になっている山)と言う巨石があり、伝説ではアイヌの英雄神サマイクㇽの砦だったとされている。サマイクㇽと、悪神ニッネカムイが戦い、悪神がその身をバラバラにされた現場とも言われ、近くには「悪神の首」とされる巨石や、「悪神が足を取られた穴」などがある。
バラバラ伝説に、どことなく日本神話の国常立之神を感じるのは、わたしだけだろうか。国常立は現実化を司る神ゆえに性質が厳密すぎ、諸神が話し合って丑寅(東北)、鬼門の地中深くにバラバラに斬って封じられ、形を変えて節分の行事となったという伝承がある。
どこか物騒な伝承とはうって変わって、抜けるような青空。神居古潭の流れは、この日はとても穏やかだった。
盛田さんは、突如崖を降りていった。水に触れたいのだろう。すごい速さで歩いていく。いつものことだ。

(この吊り橋は、ゴールデンカムイの名場面の舞台でもある)
吊り橋の上から、青空をぼぉっと眺めて待つ。いろいろな想いが、浮かんでは消える。悪神とは、鬼とは、なんだろうか…。価値観は視点によって変わる。価値観の大転換と社会の成り立ちの秘密が、神居古潭の地に隠され、いつしか伝承となったのかもしれない。

(盛田さんが降りていったのは、この写真の左側方面)
かつて一つの大きな大陸=パンゲア超大陸と呼ばれたものが、約2億5000年前頃の地質変動で、様々に分割されて移動していった。そしてこの神居古潭は、大いなる大陸移動からさらに1億年を経て、現在の北海道の右半分と左半分がぶつかり、盛り上がった現場。ひとつのものがバラバラになる、交わる、そしてバラバラになる。神居古潭は、地球のダイナミックな動きが、現実の世界に投影された地形。そして、いろいろな逸話を生んだ場所。
「それならば、まったく新しい神話が生まれるエネルギーを持つ場所なのかも知れない。」

(地質は、地球の歴史を目に見える形で実感させる)
いにしえのマグマが冷え固まった岩の上を渡り、盛田さんが戻ってくるのが見えた。
さあ、次の場所に。太古のエナジーを存分に受け、ここからは、ひたすら北上だ。
最北端、宗谷岬へ。(続く)
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