喜悦旅游#7 「日本最北端」〜北海道編5
更新日:10月6日
長い、長い、長い、オロロンライン…
宗谷岬に向かう、日本海を左手に眺めるドライブルートは、想像を超えた長さだった。しかし、ついに見えてきた。
利尻富士!

(利尻富士と呼ばれるだけあり、見事な稜線。)
雲の上に浮かぶ、ピラミッドのように真三角の利尻島。地図の上では、宗谷岬はあと少し、というところまで来たようだ。
夕暮れ、折しも満月の前日。潮が大きく引いている。暮れなずむ空、青とピンクのグラデーション。空をそのまま写した浅瀬に、鳥たちは思い思いに休む。幻想的な水鏡の光景は、どこまでも静寂だ。

(幻想的な水鏡の世界だ。)
しばらく走り、稚内に入ると、景色は一変して街中の光景に。音と光の、急なギャップに目が眩む。時間と空間が、ないまぜになるような感覚を覚えながらも、宗谷湾沿いを走っていく。景色は徐々に、のどかな丘陵風景となった。そして…
突然、到着した。

(不思議な渦が巻いていた。)
宗谷岬。
グレーがかったピンクの空。急な肌寒さ。草を黙々と食む鹿の群れ。ポツポツと佇む、海の向こうを眺める人々。ここが、日本最北端…。
日本最南端の波照間島、最西端の与那国島は、幾度か訪れたことがある。どちらも沖縄県だが、雰囲気や地形、植物のありさまは相当違う。しかし、なぜか共通するエネルギーと情緒があると感じた。南の島々だけに共通したものかと思っていたが、どうやらそうではない。おそらく、「端」というものが担う「なにか」。それが、独特のエネルギーをまとわせているのだ。
北の果て、宗谷岬でもひしひしと感じる。あの、「端」のエネルギー。それは東西南北関係なく、漂う共通の「なにか」だと感じた。

最北端の碑の前に立つ。「端」の世界に必ず置かれる、境界のモニュメント。そもそも、端とは何だろう。端、境界、Borderline、Edge…何かを明確に分けるために、定められたもの。区別が最も色濃くなるところ。それゆえに寄せられる、強烈な思惑、あるいは個を超えた「なにか」。
突然、鹿が視界を横切って、我に帰った。鹿たちはマイペースにモシャモシャと、草を食んでいる。人間の決めた「なにか」なんて、関係ない。
青々と、ただ草は生える。「ただある」から、鹿たちは、ただ食べている。そうだからそう、なのだ。

(※伊地知撮影)
ただある、そうだから、そう。
鹿のありさまは、うつくしかった。
自然には本来、「端」はない。人間がそれを見出す時、さまざまなドラマは生まれた。わたしたちに、「端」の概念は、果たして本当に必要なのだろうか。自然のままで個を生きる可能性を人が持つ時、地球の歴史と平和の概念は、まったく変わるだろう。
そんなことに思いを馳せていたら、盛田さんは歩き出していた。
「灯台に行こうぜ」(続く)
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